みなさまごきげんよう!
嗚呼蛙でございます!
プロフィールにも書いてますが、レズビアンであるわたくし。
ですが実は、レズビアンや同性愛者を名乗るのも、そう呼ばれるのにも、ちょっと違和感があります。
ということで今日は、レズビアンと呼ばれることに対する個人的違和感について考えたことです。
呼ばれても違和感のない言葉と、違和感のある言葉
レズビアンと呼ばれることに対する違和感を考えるには、呼ばれても違和感のない言葉を考える必要があります。
ここでは、その辺についてちょっと書いてみますね。
呼ばれて違和感のない言葉
自分の場合、呼ばれても違和感がないのは、「オタク」「ブロガー」「日本酒好き」「ガジェット好き」「ホラー好き」などが挙げられるでしょう。
これらの言葉に対して違和感を感じないのは、自分がその言葉に対して持っているイメージと、自分の自分に対するイメージが、合致するからであるように思います。
例えば自分は、「オタク」という言葉には、アニメ好き、ファッションにうとい、好きなものについて延々と語る、空気読まない、などといったイメージを持っています。
一般的にはあまり良いイメージと言えませんが、自分に対するイメージと離れていないことや、オタクのこういうイメージをカッコイイことだと思っているので、違和感を感じません。
むしろ「嗚呼蛙さんはオタクですよね」と言われると、「いや、自分はまだまだオタクを名乗るには未熟ですから」と嬉しくも恐縮な気持ちになるくらいです。
呼ばれて違和感のある言葉
反対に、呼ばれて違和感があるのは、「女」「容姿に関わる褒め言葉全般」などです。
「女」という言葉には、男と対の物、化粧する、スカート履く、行動を制限される、などといったイメージがあり、自分にとっては嫌なことばかりなので、ここにカテゴライズされるのは非常に不快。
容姿に関わる褒め言葉も、なんだか品物として評価されているような気分になるので、言われると心の中で「何様だこのやろう」と思ったりしてます。
自分にとって快か不快か
ここまでを振り返ると、自分が呼ばれて違和感があるかどうかは、そこにカテゴライズされるのが、快か不快かで決まるようです。
当たり前のことですね。
例に上げた「オタク」という言葉も、呼ばれた人がその言葉にどういうイメージを持っているかによって反応が異なるでしょう。
恥ずかしいと思っていれば、実際バリバリのオタクでも「オタクって言うなよ!」って思うでしょうし、誇らしければ「まぁそれほどでもありませんよ、HAHAHA!」となります。
「レズビアン」と呼ばれるのは不快か
肝心の「レズビアン」という言葉についてですが、これについては、快か不快かの判断が非常に難しいと感じています。
言葉の定義に、侮蔑的なニュアンスは含まれていない気がしますし、それほど悪いイメージがあるわけでもありません。
にもかかわらず、微妙な違和感があります。
おそらく、この違和感は「レズビアン」という言葉の特別感によるものなんでしょう。
良くも悪くもないけど、普通と違うという意味を持つように感じるんだと思います。
以前、彼女ができるまでシリーズで書いたように、自分は同性を好きになったことに全く疑問を感じなかったので、レズビアンであることは普通のことなんです。
にもかかわらず、普通でないという意味を持っている言葉で呼ばれたり名乗ったりすることに、違和感を感じるのでしょうね。
自分で自分を普通の人だと認識しているのに、プロフィール欄とかに「普通と違います」と書かなければいけないような感覚です。
こう考えると、なんとなく感じていた違和感の正体がちょっとわかった気がします。
わかったからどうだということもありませんけどね。
まとめ
- 自分にとって不快なイメージの言葉で呼ばれるのは嫌
- 自分にとって適切でないイメージの言葉で呼ばれるのも違和感
書きながら考えていたらまとまらない文章になってしまった気がします。最初に考えていた結論と違う結論になったので、考えが深まった気がする点は良かったですね。ちなみに自分は結構、一般と意識がズレているらしいので、レズビアンがみんなこういう感じ方をしているというわけではありません。念のため。
では、今日のところはこの辺で。
嗚呼蛙でした。